高橋洋一・株式会社政策工房 代表取締役会長】 

 今でこそ、財務省は増税一点張りであるが、筆者がいたころはそうでもなかった。もちろん財政再建を主張していたが、その手段としては経済成長であった。
 
 ネット検索していたら、たまたま、藤井真理子氏「英国における国債管理政策の変遷:1694-1970」( http://www.jsri.or.jp/publish/research/45/45_04.html )を見つけた。このオリジナルは、30年前に、私が係長時代に元財務省キャリア官僚の藤井氏と共同で書いた財務省(当時は大蔵省)の内部資料である。 藤井真理子氏は今では増税論者であるが、財務省資料ではちょっと異なり、英国の財政再建で「経済の成長や国富の増大を背景とした税の自然増収等を基本的な要因とする」と書かれている。当時、財務省幹部のところで、説明し、やはり財政再建は経済成長しかないないという結論だった。
 
 たまたま当時の原稿が私の手元にあった。150ページの大部であるが、その要約部分を以下に掲載しておこう。
 

英国における公債の歴史
 
1.本報告は、英国における公債の歴史を、大きくニつの時期-第一期:1950年代までと第二期:同以降-に分けて概観し、同国における公債負担軽減のために実施された方策および軽減の要因を論じたものである。英国の公債の歴史は17C半ばにまでさかのぼることができるが、戦費調達のための公債が中心であった第二次世界大戦期までの時期と1972年度以降の財政不均衡を背景とした大量発行期とでは、異った展開を示している。
 
 
2.第二次大戦期までの公債は、主に戦費を賄う目的で発行されてきた。従って、平時においては、国庫収支は ほぼ均衛ないしは若干の黒字が常であり、特に第一次大戦前では戦争によって膨張した歳出規模も戦後には 縮小することで財政不均衛が回避されている。こうした背景には、「夜警国家」的な財政観があつたと言えよ  う。

 19C末から20C初頭にかけては、歳出費目も多様化の兆しをみせ、教育、社会保障など社会サービスが増大を はじめ、特に第一次・第二次大戦後に伸びを高めた。このため財政規模は戦前の水準にまで戻らずにピーコ ック・ワイズマンにより「転位効果」とよぱれている現象がみられた。しかしながら両大戦後の時期においては、 1)歳入面で戦時中の増税による高負構造が維持されたこと、2)歳出面では国防費の減少がみられたこと等か ら、こうした社会サービスの拡大も財政赤字には結びつかなかった。したがって、20Cに入っても1970年代以前 までは平時の財政は総じて均衛しており、公債増加の原因は、19C末のボーア戦争および両世界大戦のため の戦費調達に求められる。
 
3.第一次世界大戦までの政府債務残高の推移をみると、まず18Cから19C初頭に至るまでの期間は数次にわ  たる戦争により公債残高は増加を示し、フランス革命・ナポレオン戦争(1795-1815年)後の1818年度末に   は、8億4,400万ポンド(対国民所得比2.9程度)の水準に達した。しかしその後19 C後半にかけて債務残高は減 少を続け、1898年度末に6億3,500万ポンド(対国民所得比0.39)となったが、20Cに入って二度の世界大戦を経 験する中で再び債務残高の著増がみられた。その結果、1922年度末の債務残高は78億1,300万ボンド(対国  民所得比2.03)となり、第二次大戦後の1946年度末残高は257億7,100万ポンド(対GNP比2.55)にまで高まっ  た。

 以上のような推移の中で、19C後半(いわゆる英国の黄金時代)は長期にわたって債務残高の減少がみられ  た唯一の時期として特記されるが、この時期は、経済の成長・国富の増大を背景とした1)税の自然増収、2)植 民地からの財政寄与、があったほか、3)減債基金、有期年金(元本の一部が毎年償還されていく形式の国   債)を通じた規則的な償還の仕組み、も寄与して、ゆるやかながらも順調な債務残高減少が可能とされた。な お、減債基金に関しては、その他の時期においても、いくつかの試みがなされたが(1716-1788:ウォルポール 減債基金、1786-1828:ピッ卜減債基金)、充分な成果をあげるには至らなかった。
 
 政府債務残高をその対国民所得比でみると、19Cを通して順調に低下が続いたが、その主たる要因は残局の 減少もさることながら経済成長が高かったことに求めることができる。
 
4.第二次大戦後においては、社会保障の確立・完全雇用達成を意図した財政の積極活用が行なわれることと なったが、一方で戦時増税による高負担構造が定着したことから、画線上予算の均衡が維持され、国有化産 業等への貸付を主因とする公債増はあったものの、1946年度末から1971年度末に至る債務残高の伸びは、  年平均1.6%とゆるやかなものにとどまった。またこの間、債務残高の対GNP比は、経済成長率が比較的高か ったことにより、2.55から0.62へと大幅に低下した。
 
5.1970年代に入って、英国国債史上、新しい局面が展開した。すなわち1972年度以降は、第二次大戦後長らく 維持されてきた画線上収支の均衡が破られ、イギリスも世界的不況の中で多額の財政赤字を抱えるに至って いる。こうした状況に至った背景としては、1)景気刺激のために行なわれた1971年度から75年度までの減税  政策、2)労働党政権下の1974、75年度にみられた社会保障費を中心とする大幅な歳出の伸び、3)国有化産 業に対する貸付増、などがあげられる。

 1970年代後半においては、財政収支改善のための歳出削減が行なわれ、特に79年サッチャー政権の登場以 降も財政不均衡の解消を目指した緊縮型の予算が組まれているが、赤字体質を転換するには至らず、なお大 量の公債発行がつづいている。このため政府債務残高は1971年度末の358億3,990万ポンドから1980年度末 には1130億3,600万ポンドへと年率13.6%の伸びを示した。

 しかし、対GNP比は0.62(71年度末)から0.50(80年度末)へと低下している。(これは経済成長というよりもインフ レーションによつて名目成長率が高かつたことによる。)
 
6.借換政策については、第二次大戦前では、債務の大部分が永久債であつたところから財政負担軽減のため に「低利借換」が重要な政策として位置づけられていた。また、戦時にいては、短期債での資金調達が多かつ たため、戦争終了後は満期構成の長期化を図るために「長期借換」がしばしば行なわれた。しかしながら戦後 の公債管理の基本的な考え方は、従来の「低利・長期借換指向」(利払い費の負拉軽減、期間構成の長期化) から、「内外投資家に対して、公債への投資意欲を最大にさせるような市場の維持」という点に重点が変化して きているようである。