高橋洋一・株式会社政策工房 代表取締役会長】 

 産業競争力会議で、労働時間規制が議論されていたが、マスコミの馬鹿げたネーミングによって、有益な議論ができなかった。

 それがはっきりでたのは、6月4日(水)の衆院厚労委員会だ。民主党の柚木道義議員は、「生産性が上がる素晴らしい制度と言うなら企業だけでなく公務員にも残業代ゼロ制度を導入すべき」と質問し、政府側は、「国家公務員は労働基準法の適用除外。産業競争力会議で議論するつもりはない」と答弁した。

 情けないことに、民主党議員は、産業競争力会議で民間議員から提案された「ホワイトカラー・エグゼンプション」を「残業代ゼロ」と思い込んでいた。

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」とは、正確にいえば、いわゆるホワイトカラー労働者に対して、週40時間が上限といった労働時間の規制を適用しないなどの労働規制、つまり労働基準法の適用除外制度だ。その場合、残業という概念がなくなるので、残業代ゼロというのは正しい表現ではない。その代わりに、一定の成果報酬だ。

 欧米ではこうした労働規制の適用除外がある。欧米における適用除外対象者の労働者に対する割合は、アメリカで2割、フランスで1割、ドイツで2%程度といわれている。日本では、民間への制度としては未導入である。
 ところが、日本でも、国家公務員については、この国会答弁のとおり、労働基準法の適用除外になっている。しかし、「残業代はゼロ」でない。

 実態としても、国家公務員は、労働基準法の適用除外だが、国家公務員の残業代は残業時間にリンクしない形で、満額ではないものの残業予算を配分することで支払われている。要するに、「ホワイトカラー・エグゼンプション」を残業代ゼロというのは、まったく正しくないのだ。

 この民主党議員の質問のように、国家公務員に対して「残業代ゼロ」を導入すべきと質問すると、国家公務員の残業代をゼロにできないので、答えは「ノー」だ。しかし、政府がこう答えると、民主党議員は、国家公務員には残業代を払って民間には残業代ゼロにするのか、と誤解に基づき怒り出すだろう。だから、政府はまとも答弁できない。
 もし、国家公務員に対して「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入すべきと質問すれば、「すでにそうなっている。ただし、残業代はゼロでない」と答えられる。

 そうした稚拙な議論が行われた中で、厚労省は、民間議員の「ホワイトカラー・エグゼンプション」に反対であったが、民間議員提案の対象をより絞って一部で容認に転じた。具体例として、成果で評価できる世界レベルの高度専門職をあげた。それ以外については、以下に述べる現行制度の「裁量労働制」で対応したいとしている。

 日本では、民間で「ホワイトカラー・エグゼンプション」はないが、それに類するものとして「裁量労働制」がある。この制度は、労働時間概念は残っていて、実労働時間に関わらず、みなし労働時間分の給与を与える制度だ。いくら働いても残業時間が増えるわけでない。

 この対象になっている労働者は、専門業務型といわれる①研究開発、②情報処理システムの分析・設計、③取材・編集、④デザイナー、⑤プロデューサー・ディレクターなど19業種(労働基準法38条の3)と企画業務型といわれるホワイトカラー労働者(労働基準法38条の4)で、労働者に占める割合は8%程度だ。

 ただし、制度の運用は、厚労官僚のさじ加減ひとつであり、はっきりしない部分が多く、使い勝手が悪い。こうした意味で、「ホワイトカラー・エグゼンプション」と「裁量労働制」は似て非なるモノだ。皮肉を込めていえば、「裁量労働制」とは、労働者の労働時間の「裁量」ではなく、厚労官僚の「裁量」を尊ぶ制度だ。「ホワイトカラー・エグゼンプション」には、厚労官僚の裁量の余地はまったくない。

 この論争は、はじめは黙っていた厚労省が打ち出した、わずかな「ホワイトカラー・エグゼンプション」と、その他については「裁量労働制」で決着がついた。

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」の対象は年収1000万円以上。年収1000万円以上の割合について、国税庁による2012年の民間給与実態統計調査結果をみると、3.8%しかいない。しかも、この数字は、会社役員をも含む数字であるので、労働者に対する割合はもっと低く3%程度だろう。いずれにしても、「裁量労働制」の8%よりも少ない数字だ。

 これまでの民間の労働時間規制の緩和について、でてきた結論を言えば、「ホワイトカラー・エグゼンプション」3%、「裁量労働制」8%、残り92%には、残業代うんぬんはまったく関係のない話だった。

 マスコミが「残業代ゼロ」とのネーミングで、煽り報道がなされた時、厚労官僚は、労働基準法の適用除外という意味で、残業代ゼロでないというべきだった。その一番の好例は、国家公務員である。国家公務員は実意は労働基準法の適用除外である。しかし、残業代は残業時間にリンクしない形で、満額ではないものの残業予算を配分することで支払われている。要するに、適用除外を残業代ゼロというのは、ミスリーディングなのだ。

 ところが、厚労官僚はそうした説明を行ったフシはない。こんな話は国家公務員であれば、誰でも知っていることであるが、マスコミ報道はない。

 なぜ、厚労官僚は残業代ゼロといわなかったのか。官僚の習性として、自己の権限を確保しようとするので、自分の所管法律の適用除外は本能的に避けようとする。そこで、産業競争力会議の民間議員が、欧米並みの適用除外を求めてきたときに、残業代ゼロと誤解されれば、国民からの範囲が強くなることを予見できるので、残業代ゼロというネーミングを放置したのだろう。

 そして、最後のタイミングで、厚労省の庭先である「裁量労働制」を持ち出して、少しだけ官邸の顔をたてて、「ホワイトカラー・エグゼンプション」をアリバイ作りで行った。

 労働時間規制の議論の勝者は、産業競争力会議の民間議員や労働者でもなく、厚労官僚だ。「ホワイトカラー・エグゼンプション」を限りなく少なくして、その不満は裁量労働制で拾っている。「裁量労働制」は、労働者の労働時間の「裁量」ではなく、厚労官僚の「裁量」を尊ぶ制度だ。一方、「ホワイトカラー・エグゼンプション」には、厚労官僚の裁量の余地はまったくない。厚労官
僚の裁量は、今回の議論で確保されている。

 今回の「ホワイトカラー・エグゼンプション」を年収1000万円以上とすることを、蟻の一穴という人がいれば、法律の素人で的外れだ。適用除外なので、今後の広がりは少ない。

 これは「ホワイトカラー・エグゼンプション」と「裁量労働制」の違いによる。それぞれの対象を拡大するためには、「ホワイトカラー・エグゼンプション」では法改正、「裁量労働制」は省令でできる。当然のことながら、法改正のほうがハードルが高い。なお、対象は、「ホワイトカラー・エグゼンプション」では年収基準、「裁量労働制」は厚労官僚の決める業種である。

 いずれにしても、むしろ今回の議論で対象となっていない「裁量労働制」は、厚労官僚の裁量によって、今後とも広がる可能性がある。残業代ゼロという92%の労働者には無関係なアバウトな言葉を使わず、「ホワイトカラー・エグゼンプション」ではなく「裁量労働制」に注意すべきだ。

 今回の決着は、民間労働者に対してのもので、相変わらず国家公務員は労働基準法の適用除外だ。今回の議論で勝利した厚労官僚に対しては「ホワイトカラー・エグゼンプション」なのに、民間にはほんのわずかだけしか認めないのは、さぞかし「ホワイトカラー・エグゼンプション」はおいしいのだろう。ここでも官尊民卑なのだろうか。